命日。 [猫たち]
3月1日は、ウチの3代目の猫として来てくれた、サバの命日である。
デジカメの時代ではなかったのでアップできる写真は少ないが、本日はサバの話を。
サバは、中野の家に住んでいた時、家に入ってきた猫(♀)である。
中野の家は、木造アパートの1階にあった。
狭くても玄関には敲きがあり、勝手口がついているような古い造りの家。
和式トイレには、床に近いような低い位置に、横長引き戸式の小窓があった。
小窓は、外からでも30cmほどの高さだったので、 格好の「猫専用出入り口」になった。
その家に引っ越してきた時には、初代のネコ(♂)がいた。
2代目(♀)のネコが住むようになって1ヵ月後、仲は良さそうだったが初代は行方不明に。
この初代~2代目のネコたちの話はまたの機会にしたいと思うが、猫出入り口からは、色んなネコが入ってきた。
入ってきてすぐの場所は台所になっており、家猫用のカリカリがいつも置いてあったから・・・。
多くの「お邪魔ネコ」たちは、ちゃっかりゴハンだけを食べて帰っていく。
台所からカリカリと音がしたら、どんなネコが来たのか、ビックリさせないよう居間からこっそり覗くのが楽しみだった。
サバも、そんな風にゴハンを食べに来るネコたちの中の1匹だった。
脅かさないように暗いまま覗いていたので、サバ虎猫だと思って名前がサバになってしまったが、後になって、カラダの方はアメショーのような太い縞で、年輪のようになっていることが判明
サバは、その家が安全だと理解したのか、徐々に食べに来る回数が増え、そのうち、食後に台所のマットで休憩していくようになる。
そのうち「一大決心」をして?家猫である2代目のコを探すフリをしながら、台所から居間の方へ入ってきた
ヒトがいることもわかっているのに、物怖じしない。
そして、キョロキョロしながら、私が座っているソファーにも乗ってきた
そ~っと、背中を撫でてみる・・・ が、全く驚きもせず、平気で撫でられているし
彼女の滞在時間は長くなり、家の中も自由に?歩くようになってきたが、ある日、決定的な出来事があった。
寒くなってきたので、ガスストーブを出したら・・・・・・
2代目のコとくっついて、ストーブの前でひと晩、気持ちよく?寝てしまったのである
出会った頃のサバ。
サバは毎日必ず外へ出るが、その日以来、1日の半分以上は我家にいるようになった。
先住猫の2代目よりひと回り大きかったが、大人しくて、最初から全くトラブルもなく仲良くできたようだった。
一応病院へも連れて行ったが、すでに避妊もしてあって3歳以上だということ以外はわからない。
中野の家から世田谷の家へと引越しする時、当日の朝、帰ってこなくてヤキモキさせたが、荷物を運び出した後、こっそり帰ってきた。
世田谷の家では、自由に外へは出さないことになっていたし、中野時代の最後に公園から連れ帰り、引越しまで里子に出していた4代目の子猫(←これがろん)も加わることになる。
サバ、家が変わったことに加え、自由に外へ出られなくなり、新参者のろんまで増えて、最初の半年間はかなり鳴いた。
でも、何とか耐えてくれて、やんちゃな子猫のろんにとっての「大好きなお姉ちゃん」にもなってくれた。
今でこそ長老?になってしまっているろん、元々は2匹のお姉ちゃんの下で甘えていた末っ子だったので、今でも自分が甘えられるのは苦手なのかもしれない。。。
ろん:「お姉ちゃんお姉ちゃん」 サバ:「・・・しょうがないコねぇ・・・」
3代目の猫・サバは、世田谷の家で過ごした後、現在の目黒の家へろんと共にまた引越しして来たが、ストーブの前で一晩寝てウチの猫となってから12年後の3月1日、息を引き取った。
かなり大きくなったガンを抱えながらも、病院へ行く数日前まで通常通り生活し、苦しそうな表情も見せず、老衰のようにおだやかな最期だった。
推定年齢15歳以上。
高齢であったことが、ガンの進行を緩やかにし、痛みを和らげていたのかもしれない。
12年間、一緒に暮らしてくれた3代目のサバ。
そして、今の家に来ることができなかった、2代目の猫(未紹介)。
今は、額入りの写真の中から我家を見守ってくれているが、崖に近い方の壁に飾ってあったから、もしかして、崖が崩れないように踏ん張ってくれているのだろうか
ろんも16歳。 亡くなった時のサバに近い年齢になっている。
まだ連れて行かずに、どうか引き続き、見守っていて欲しいと思う。